スキ!好き!神戸!

神戸っ子なのに知らない事がいっぱい。神戸を深堀りしてみます。

須磨区は須磨じゃないよ

京都府全体が京都ではないってのは誰でもわかること。岸壁の母の舞鶴もあれば、お茶で有名な宇治もあるし、伏見もある。京都市には嵐山や山科もあるけれど、京都ではない。京都市のほんの一部が京都ですよね。それと同じように、神戸市の須磨区の全部が須磨ではないよといった話です。

神戸のイメージとしては、港町、異人館、ハイカラ、おしゃれ、お嬢様ファッション、洋菓子、美味しいパン・・・いろいろ思い浮かべていただけますが、ほぼほぼ神戸の良いところをイメージしてくださってありがたいです。

同様に須磨のイメージはとなれば、和歌に歌われたところ、俳句で詠まれたところ、源氏物語、平家物語の舞台・・・これも良いイメージを持ってくださってありがたいです。

でも須磨区のほんの一部の場所だけが、このイメージに該当する場所なんです。ほかはあんまり関係ないんです。

そもそも須磨区って

明治22年に須磨村ができ、須磨町となり、そして神戸市須磨区となりました。

現在の須磨区は、明治22年須磨村にとりこまれた、白川村、車村、妙法寺村、多井畑村、板宿村、大手村、東須磨村、西須磨村でできています。

皆さんが思っている須磨のイメージ、和歌で歌われた、源氏物語、平家物語の・・・は、ほぼほぼ西須磨村あたりになります。

有名なところとしては、与謝蕪村(現在の大阪市都島区の出身)が須磨の海岸を見て詠んだ俳句「春の海ひねもすのたりのたりかな」だったり。お正月にかかる箏曲「春の海」は、現在の三宮あたりの出身、宮城道雄氏の作曲です。彼は歳で失明されたのですが、目が見えていたころの須磨海岸をイメージして作らた曲とのことです。また源氏物語は、書かれる約100年まえに在原行平が左遷され、近畿の西橋の須磨にて侘住居をしたことを元ネタに書かれた箇所があります。平家物語の一の谷の合戦もこのあたりです。松尾芭蕉もいくつかの俳句を詠んでいます。

須磨区になった多くの村の中の一つ、西須磨村あたりが、みなさんのイメージする須磨と思っていただいていいかと。

西須磨村の場所をざっくりと

海と六甲山系の間、そして東は妙法寺川で囲われた三角とでもいいましょうか。海は明石海峡、須磨海浜公園となっています須磨の浦。須磨浦公園駅近くの鉢伏山はその昔、赤石櫛淵(あかいしのくしぶち)といって近畿の西端で、ここが摂津の国と播磨国の国境です。この狭い範囲がだいたい昔の西須磨村です。

ビデオでボソボソ話します


須磨区は須磨じゃない | 須磨シリーズその1