スキ!好き!神戸!

神戸っ子なのに知らない事がいっぱい。神戸を深堀りしてみます。

旧跡・歴史

勝福寺と平清盛・松岡城跡と足利尊氏

勝福寺と平清盛 勝福寺は、永延2年(988年)、太政大臣藤原伊尹(これただ)の三男、藤原英雄丸(えいゆうまる)が勅命によって証楽上人(しょうらくしょうにん)と名を改め、高取山麓に庵を建て。鹿松峠(かのししまつとうげ)に出没していた鬼人を仏教の…

板宿・板宿市場・西国街道・菅原道真

板宿の名前の由来 神戸市の須磨区にあります板宿(いたやど)は、古くから平地にある村々と妙法寺川沿いの山村をつなぐ交通の要所でした。地名の登場は「平家物語」の中にも出て来ますので、かなり古くからあることがわかります。板宿という地名の由来にいく…

神戸名物掘りおこし

TURN! TURN! TURN! ピート・シーガーの曲ではないですが、街がどんどん変わっていきます。 戦後のある時期「大阪名物粟おこし、神戸名物掘りおこし」と言われたことがあるそうですが、僕が生まれてからもドンドン掘り起こして、山が海に行って島になりしまし…

須磨区は須磨じゃないよ

京都府全体が京都ではないってのは誰でもわかること。岸壁の母の舞鶴もあれば、お茶で有名な宇治もあるし、伏見もある。京都市には嵐山や山科もあるけれど、京都ではない。京都市のほんの一部が京都ですよね。それと同じように、神戸市の須磨区の全部が須磨…

月見山・稲葉山・在原行平

在原行平が月見をしたといわれる月見山(稲葉山)はどのあたりだろう? 山陽電鉄「月見山駅」近くに稲葉町が有るのですが、月見山(稲葉山)という名の山は存在しません。昔、東須磨村の方たちが背山を稲葉山と呼んでいたそうです。その一部が現在の須磨離宮…

敦盛塚と敦盛そば

敦盛塚石造五輪塔 この付近は源平の一の谷合戦場として知られています。寿永3(1184)年に、熊谷次郎直実が当時16歳の敦盛を打ち取り、それを供養をするためつくったという伝承から敦盛塚と呼ばれています。でも、あちらこちらの塚を集めたので、集め塚がな…

神戸市電・板宿から鈴蘭台へ行くには

どうしても記憶が飛んでいて、なんとか埋め合わせようとしている事がありました。僕がまだ小さな頃に親戚が鈴蘭台に引っ越しました。関西の軽井沢とよばれ、もともと別荘地でしたが、大がかりな開発をしベッドタウンに生まれ変わりつつある時期でした。祖母…

安徳宮・安徳帝内裏跡伝説地

最寄り駅の山陽電鉄須磨浦公園駅から徒歩10分くらい?以上?かかるでしょうか。足腰の強さが時間を左右する九十九折の坂道があります。 安徳帝内裏跡伝説地は、源平合戦の時、2歳で即位した安徳天皇の内裏があったとの伝説がある地です。九十九折の坂道を登…

神戸大空襲と罹災証明書

1945年3月17日に「少年H」の住んでいた西部が焼かれ、6月5日に「火垂るの墓」の舞台である東神戸や阪神間が焼かれた空襲。その6月5日に春日野道の借家を焼け出された時の罹災証明です。祖母は、1938年7月の阪神大水害にあい、1945年6月5日の空襲で焼きだされ…

阪神大水害・神戸大空襲・阪神淡路大震災・災害の記憶

祖母が、ビルの上の方を指さし、「あそこで色が変わってるやろ。あそこまで水が来たんや」とか、「このビルは、空襲で焼けなかったんや」と言うことが不思議でした。というよりも、なぜそのように細かく記憶できるのかが不思議だったのです。震災後、これは…

山、海に行く

大根をくるんでいる新聞紙に、神戸のベルトコンベアの事が書かれていました。神戸市広報の須磨区版2011年2月号です。そういえば少し前に弟の家族が来たとき、「ベルトコンベアの事、おっちゃんに聞いてみ」と弟が息子たちにいったので、仕事でかかわったベル…

御影と八木重吉

昔、神戸市の御影にある高校に3年間通いました。美術部だったので絵を描くために、学校から山の手に歩いて行くと、すぐに六甲山の裾となり、とてもすてきな雰囲気の住宅街になります。山に背を向けると、街並みと海が見える典型的な神戸の風景。芦屋に近い…

雲の柱の導くままに・神戸と宣教師

先日、神戸雑学という本のことを書きましたが、それを読んでいて、長い間本棚に眠っている本を思い出し、久しぶりに手にとってみました。「神戸と基督教」という本です。書かれたのは1975年なのですが、僕との出会いは1994年です。新開地駅と高速神戸駅の間…