スキ!好き!神戸!

神戸っ子なのに知らない事がいっぱい。神戸を深堀りしてみます。

阪神大水害・神戸大空襲・阪神淡路大震災・災害の記憶

祖母が、ビルの上の方を指さし、「あそこで色が変わってるやろ。あそこまで水が来たんや」とか、「このビルは、空襲で焼けなかったんや」と言うことが不思議でした。というよりも、なぜそのように細かく記憶できるのかが不思議だったのです。
震災後、これは震災前からあるもの、これは震災後に立て直したものとわかる様になり、あぁこんな感じでその時代を通り過ぎ、しっかりと記憶されているのかとわかりました。
神戸市は、神戸大水害、神戸大空襲、阪神淡路大震災といろいろなところを通ってきた都市です。親父は大阪生まれの神戸育ち。一時、尾道の親戚に預けられていたそうですが、戦前は、現在の王子動物園の近くで暮らしていたそうです。現在王子動物園のある所ですが、当時は関学が神戸から西宮に移転し原っぱの様になっていて、ガキだった親父の遊び場になっていたそうです。戦後、諏訪山からここに動物園が越して来て現在の王子動物園になりました。関学のチャペルは長い間、神戸市立の図書館になっていました。動物園から南におりたらすぐにある阪急の線路の北側(道と道に挟まれた部分)に、多くの防空壕があったそうです。あまり話さない親父なので、この程度の思いで話しか知りません。生きている間にもう少し聞いておこうと思います。
また、自分の記憶も曖昧になっています。高度経済成長の時代に生まれ育ちましたらか、毎日どこかで槌音がしているといった状況で街の景観の変る様はがすごかったのです。手をひかれて通った場所など、たぶんこの辺り、ここにあったはずの建物じゃなかったかな、なんて感じになってきました。
別に曖昧な記憶のままでもなんの支障もなく生活できますし、想い出はそんなものでいいのかもしれませんが、どうしてもアレはどこだったのだろう、どのような方法であの場所にいったのだろうか? 震災の後、そんなことをどうしても知りたくなってしまいました。

時々、本やビデオを見つけては買ってしまいます。これらのお陰で少しずつですが、記憶の整理がついてきています。そんなことを思うのも歳なのかもしれませんし、自然なのかもしれませんね。