スキ!好き!神戸!

神戸っ子なのに知らない事がいっぱい。神戸を深堀りしてみます。

御影と八木重吉


昔、神戸市の御影にある高校に3年間通いました。美術部だったので絵を描くために、学校から山の手に歩いて行くと、すぐに六甲山の裾となり、とてもすてきな雰囲気の住宅街になります。山に背を向けると、街並みと海が見える典型的な神戸の風景。芦屋に近いこの地域は、神戸の下町で生まれ育った僕には、同じ神戸とは思えない雰囲気でした。

現代国語の授業で、いくつかの詩が紹介され、その中に八木重吉の作品が二点ありました。一つは今でも覚えています。詩集「秋の瞳」のなかの「うつくしいもの」です。もう一つは思い出せません。

先生が「八木重吉は、御影の師範学校で教えていたんだよ。師範学校の先生たちのあまりにも世俗的な雰囲気が嫌いで、もしかしたら休憩時間は、校庭の片隅で本を読んでいたかもしれないね」と、校庭を指さして言ったのを今でも覚えています。御影師範の跡地に神戸大学の一部の学部が来て、その校舎や校庭を譲り受けた高校だったからです。道を挟んでとなりにある市立御影中学校も、御影師範の跡地で、八木重吉の歌碑も学校内にあるのですが、まだ見に行っていません。

先生のその話で、八木重吉に興味を持ち、彼の詩集を買いました。生まれて初めて買った詩集です。

重吉は、子どもが生まれた頃、石屋川沿いの山の手の坂のきつい所から、師範学校に近い下町の柳という場所(現在の地図には無い地名なので場所がわからない)に転居しているとのこと。勉強もしないで御影の街をプラプラしながら、もしかしたら、ここを重吉が歩いたかもしれないなんて思いをはせたこともあります。

先日、本屋さんにふらっとよった時に、古い昔の写真や地図が絵はがきになって販売されていました。神戸や御影の地図もあったので、数枚購入しました。その地図は、武庫郡御影町、武庫郡住吉村、武庫郡魚崎村で神戸市になる前のものです。
西の石屋川も東の住吉川も、六甲山からの急な水流で反乱し、土手を積み上げるなかで天井川になっていたようです。省線(現在のJR東海道本線)が川の下をくぐっています。また線路沿いに報徳学園の前身かな? があるようです。

一番気になっていた八木重吉の住居もわかりました。御影師範の北側、現在は国道2号線が走っていますが、その2ブロック上に「柳」とかかれた場所がありました。このあたりの借家で生活していたのですよね。現在の神戸市立御影中学の北側、国道2号線よりすこし上のあたりです。

長い間、どこにいたのかな? と思っていたので、ちょっとうれしいです。